2004年中島公園の事故・出来事

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2004年12月29日 テレビ報道に協力「台風18号の爪痕」

台風18号で北海道中、大被害があったときのことである。風が治まると直ぐに近所の中島公園に被害状況の写真を撮りに行き、直ぐにホームページに載せた。それがテレビ局の目に留まり、取材の申し入れがあった。

担当記者に、「今なお台風18号の爪痕を残しているところはないか?」とたずねられ、迷うことなく地下鉄幌平橋駅前のポプラ並木と答えた。

念のため、他に傷跡を残している所はないかと公園中、探しまわったが、やはり特別に目立つ所はない。

被害を受けた場所は沢山あるが、いったん片付けてしまうと、それが新しい景色になる。 被害の程度は以前の風景と比べて見ないと分らないのだ。

数日後、中継車が来て、記者、技術スタッフと一緒に現場の下見をした。私は撮影場所である幌平橋駅あたりを記者と当日の打ち合わせをしながら、見て歩るいた。 中継車と報道スタッフを見て、これはエライ大掛かりだなと緊張し、少し心配になって来た。

技術スタッフがいろいろ調べていたが、結論を言うと、「中継車が駐車する場所からは電波がとどかない」と聞かされ、この企画は中止だなと思った。

何か肩の荷が降りた様な気がしながら撮影予定現場を後にした。 大きな中継車を報道の為とはいえ、道路に駐車させるわけには行かないだろう。

翌日、記者から豊平館前を検討したいとの電話があったので、「台風被害の傷跡は雪などに覆われて、よく見えないと思う」と答えたが、記者はとにかく現場に行って調べてみると言った。

豊平館前の駐車場に中継車を置けるというのが撮影場所変更の理由である。彼はあくまでも中継車による放送にこだわっていた。それを入れるか入れないかで報道の格が違うのだろうか。

豊平館前では適当な被写体がないと思っていたので、これでこの話はお仕舞いと思っていた。 しかし、数日たつと「29日のニュース番組に出演して欲しい。撮影場所は幌平橋駅前」との連絡があった。後で考えると規模を縮小してやることになったようだ。現場に中継車は来ていなかった。

残念な気持ちも少しはあったが、ホッとした気分の方が強かった。元々今回の予定は都心の台風被害というテーマで、道庁と中島公園をやる予定と聞いていた。

道庁のほうは中止になり、替わりにヘリコプターで空からの北大ポプラ並木放映になっていた。
中島公園の方は短時間になりはしたが、予定通り幌平橋駅前で中継することになった。

別の取材で来ていた新聞記者が「中継車が来るとは豪勢な番組だな」と言っていたが、そのときは意味がよく分からなかった。

しかし、来なくなった代わりに、ヘリコプターを飛ばしているのを見て、改めて年末特番は豪華だなと思った。 中継方法に変更があった為、いろいろ勉強になった初めてのテレビ放送協力だった。

アナウンサーが持っているパネル写真が倒壊前のポプラ並木。背景は倒壊して見る影もないポプラ並木跡。


下の写真はパネル写真を拡大したもの。この2枚はほぼ同じ場所で撮影。

「中島パフェ」の運営について

「中島パフェ」を開設し、更新を続けているうちに、中島公園の危うい立場に気が付いた。そして、中島公園を良好な状態で次世代に引き継ぎたいと思うようになった。

都市化の波に飲み込まれそうな姿が、徐々に見えてきたのだ。この公園を出来るだけ良い状態で次世代に引き継ぎたい。そのために役に立ちたいという想いがしだいに強くなった。



 (冬になると凍結する中島公園菖蒲池)

最初にやるべきことは中島公園を知ってもらうことと考え「中島パフェ」をPRすることにした。

先ずアクセスを増やさなければPRにはならない。SEO(検索エンジン最適化)、ヤフー登録、DMOS(グーグルディレクトリ検索)登録等を行い、ある程度のアクセスは得られた。

しかし、その状態で頭打ちになった。何とか打開しなければと思ってはいるが、楽しみながら取り組んでいる。

目的は「由緒ある中島公園を良好な状態で次世代に引き継ぐこと」だが、そのためにアイデアを考えたりすることを楽しんでいる。

サイトの魅力アップの為にアドバンテージを生かしたい。アクセスを増やそうと思うなら、「役に立つ」とか「面白い」とか魅力的なサイトにする必要ががある。

その為には作り手自身が他者より優れたものをもっていなければならない。 

優れたものは自分自身の能力の中には見つけられなかったが、客観的状況として二つのアドバンテージがあることに気が付いた。 

それは「中島公園の近くに住んでいる」「自由時間を沢山もっている」ことである。このことは情報を確認し、更新を頻繁に行うためには、極めて有利なことと思う。
この二つのアドバンテージを生かしたホームページ作りが必要と考えている。

私のアイデア「中島公園冬季複合レース」

冬にも中島公園にしかないロードヒーティング園路を利用したイベントがあるといいと思う。

夏の本格的なマラソンは毎年恒例の「北海道マラソン」にまかせるとして、冬にもイベントが欲しい。

そこで考えたのが「中島公園冬季複合レース」あまり良いネーミングでないので仮称とする。

先ず、歩くスキーでスタート。中島体育センターから、約1Kmのコースを一周する。これがレース前半で、この後に中島公園ならではの本格的レースが展開される。

経費の問題もあって現在は使用してないロードヒーティング設備だが、これを有効に利用したい。園内の主要園路は約1.5kmにわたりロードヒーティング設備が施されている。

真冬でもランニングシューズを履いて、本格的レースが出来るのだ。この日だけはロードヒーティングを全開にして、夏と同じ道路状況をつくり、思いっきり走ってもらいたい。

真冬に走路だけでも夏と同じにして大勢のランナーがいっせいに走る姿を見てみたいと思う。

これは中島公園でしか出来ないイベントである。もし、開催されればユニークな冬のイベントとして評判になることは間違いないと思う。 

ロードヒーティングの寿命は15年から20年と言われている。あと数年の内に開催しないと二度とチャンスは訪れない。中島公園の素晴らしさを世間にアッピールして欲しい。

名刺代わりのホームページ

都心に位置する中島公園は都市化の影響を受け易い状況にある。 私達の世代は、100年以上にわたり先人が守ってきた環境を、良好な状態に維持したまま次世代に引き継ぐ責任がある。

こう考えてサイトの運営をしている。 思いつきで開設したが、更新を重ねている内に理解が深まり、このような考えに至った。

当面の目標は、少しでも多くの人々に中島公園を知ってもらい、訪れてもらうことである。 

長い間職場中心の暮らしをしてきた。転勤して別な土地に行っても同じことだ。 転居先でも「集団旅行者」のようなものだった。

6年前に退職して、中島公園近くのマンションに転居した。 「さあ、これからは地域と共に」と思ったまではよいのだが…。

現実は水と油を混ぜるような厳しい作業の連続だった。やはり「名刺」が必要だと実感し、名刺代わりに「中島パフェ」を開設した。

名刺には肩書きが必要。石原裕次郎のような有名人なら肩書きは不要だろう。 しかし、まったくの無名人の場合、肩書きを付けないと、どんな人だか分からないのだ。 

とにかく、地域に知り合いは一人もいない。 「私はこうゆう者です」と言わない限り話になならない。早速名刺を作り現在の活動を示す肩書きを入れた。

肩書きで人とのつながりが出来、多くの人と知り合い、人生が豊かになった。

世間のエライ人(立派な肩書きのある人)は退職後は肩書きを外した付き合いを勧めるが、肩書きが外れて、最初に必要になったのは、皮肉なことに新しい肩書きであった。 


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2009年1月18日更新

リンク

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