2008年もっと良くなる中島公園

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スッキリした景観

3年前の夏のことだが、北海道庁でカメラの達人と会って写真の話をした。達人は立派なデジカメで親子鴨を撮っていた。

「(子ガモは)何羽ですか?」と話しかけると「さっきまで6羽だが、カラスにやられて今は5羽」と一部始終を話してくれた。

「カメラ長いんですか」と聞くと、「50年以上やっている」と達人。思わず「家一軒立つぐらい使ったでしょう」と口がすべった。 「写真屋だからな」と言われシュンとなってしまった。

達人は気を悪くする風でもなく「カメラは空間処理と時間処理だから・・・」とか、いろいろ教えてくれ「中島公園にはよくバラを撮りに行くよ」と言ってくれた。

いつも鉄パイプとロープで囲まれている中島公園のバラが気になっていたので、「中島公園のバラはロープが邪魔じゃないですか」と聞くと「ロープは撮らない、花だけ撮る」と当然の返事が返ってきた。

   (以前は花壇をこのようなロープで囲んでいた)

「だけど、全体の景観を撮るとき邪魔でしょ」とたたみかけた。何とか邪魔と言って欲しかったのだ。すると思いがけない答えが返ってきた。

「公園は造園技師が造ったもので、作品にはならんのだよ」と。 中島公園は作品にはならないのかと、少しガッカリした。

私は花も中島公園の景観の一部と思い、ロープも鉄パイプも立入禁止表示も景観を妨げるだけのものと考えていた。しかし、写真の達人は作り物の景観など目もくれずバラだけを撮ると言うのだ。

それなら「ロープ」も「立入禁止札」も少しは役に立つだろう。ものぐさな人はロープをまたいで中に入ったりしないし、真面目な人は「立入禁止」を無視したりしないから。

それに、わざわざ達人が撮りに行くのだから、中島公園のバラは被写体としても貴重なものなのかなと少し見直した。 だから大事にしているつもりなのかなとも思った。 

約1年後、指定管理者制度という新しい制度が出来て公園の管理者が交代した。 新しい管理者は長年張ってあったロープをあっさりと撤去してしまった。

もともと不要なものだが、いくら意見を言っても管理者が交代しない限り受け入れてはもらえない。中島公園のバラの花壇を囲む、あのロープは景観を悪くしていただけのような気がする。

一体なんの役目を果たしていたのだろうか。不思議でならない。 ロープがなくなってスッキリした景観を観てホッとしている。 新しい業者は造園の専門家だと聞いて納得した。

以下は私の推測に過ぎないが、なぜ不要なロープが張られたか考えてみた。恐らく「バラのトゲで子供が怪我をした」と言う様な苦情があったのだと思う。 

ロープを張ったところで、手が届くのだから、怪我をする場合はする。 しかし、管理者としては「ロープを張って注意を喚起した」と言って責任を果たしているポーズをとることが出来る。 

ある意味ではまったく無責任な考えだ。 以上、勝手な推測で申し訳ないが、中島公園のあのロープからは、そんな推測しか浮かんでこない。

   (囲いのロープを取ったら、このようにスッキリした)

有難い情報提供者

一人でも多くの方に中島公園に興味を持って欲しいと思い、ホームページやブログにいろいろ書いている。 

当初は自分の足だけで情報を集めていたが、ホームページを開設してしばらくたつと情報を伝えてくれる人が徐々に増えてきた。

komadoriさんよりムクドリの巣立情報をメールで頂いた。

「今朝(3日)中島公園を9時ごろ散歩をしてましたら ムクドリの巣立ちを見ました。 ムクドリの両親がパンのえさを運んでいきます。

まもなくすると なかから 数羽の 子供が 巣立って 出てきました。まだ中にいるようです。

翌日もいるかどうかは わかりませんが もし よかったら見てください。4日から1泊で 鳥仲間と 富良野の東大演習リ林へ 探鳥会に行ってきます。

大きな木の洞が巣です。絵を添付してみました。
♪♪〜komadori 」

ムクドリの巣を見つけるなり、スラスラスラとノートパソコンとペイント(ソフト)で描いてしまうのですから凄い。私には神業に思える。

翌日さっそく巣を見に行き、洞の中のヒナを観察することができた。絵で見ると分るように中島まで多少距離があるので、はっきりした写真は撮れなかったが、これでもヒナ2羽を確認できると思う。


ところで、komadoriさんにはオシドリのことでもお世話になったことがある。

ある年の春頃のことだが、ラジオで中島公園の話をする機会があったが、その中で突然「あのオシドリはどうなりましたか?」と聞かれてしまった。

あのオシドリとは、たった1羽で越冬した鴨々川付近の雄のオシドリのことである。komadoriさんは「イケ面・オシドリ」と言うが、私にはオモチャの鳥の様に見える。

「オシドリは高い木の洞に巣をつくります。今頃は山に帰っているかもしれません。」と、したり顔で答えたが、実はこれ少し前にkomadoriさんから聞いたばかりの話だ。

司会者が感心して肯くのをみて、気が咎め「人から聞いた話ですが」と付け加えた。

「komadoriさん、ムクドリの巣情報、オシドリ情報有り難うございました。クマゲラ情報も面白かったですが、残念ながら中島公園には来ません」
心の中で言ってみた。

ブログは最近始めたが、ウェブサイト「中島パフェ」を開設して5年たとうとしている。

最初は自分の足だけで、情報を集めたが、1年くらいすると散歩している人が「あすこに鴨の巣がある」とか「オシドリの母子がきている」とか教えてくれるようになった。 

自分で探すより、人に聞いた方が能率がよいことが分かったので、最近はこちらから聞くようにしている。 公園を散歩している人なら、たいがいこころよく教えてくれるから有難い。

しかし、失敗することもある。 沢山いた鯉がある日突然消えてしまったとき、あまりにも不思議なので、聞いて歩いた。

「鯉、見ませんでしたか?」
「さっき、お話しましたが…」

まったく違う場所で会ったので別人かと思ったが、歩いているから、違う場所に同一人物がいても当たり前なのだ。

「鯉、見ませんでしたか?」
「一生懸命歩いているので、池は見ません」

ダイエットとか運動目的で歩いている人は景色など見てないのだ。 人にものを尋ねるにもある程度の経験が必要と思った出来事だった。

いずれにしろ情報をくれる人は有難い人である。私もときどき新聞社などに情報を提供している。たまたま記事になった情報を見るのも楽しいものだ。

2月12日 野外彫刻の美化保全運動

2月7日、2回目の「市民参加による文化財の美化・保全運動」に関する少人数の集会が中島公園内北海道立文学館共同研究室で開かれた。 

去年の夏、「札幌まつり」最終日の夜、公園内の野外彫刻が押し倒される事件があった。 その後、次々と野外彫刻が悪戯に遭った。この事件は中島公園内の文化財の美化・保存運動立ち上げのきっかけとなった。 

去年の夏の一連の事件を振り返ってみたいと思う。

6月30日北海道新聞に「母と子の像無惨 いたずら悪質 目に花火の焦げ跡」との見出しの記事があった。ついに新聞でも取り上げたかと思った。 

遡ること約2週間前、中島公園ウオッチャーのMさんより事件を知らせるメールが届いた。現場に行って見ると、山内壮夫作の「母と子の像」が無惨な姿で転がっていた。 

早速、写真を撮り、「中島パフェ、速報掲示板」に「祭りの夜の悪戯か?」という題名で書き込んだ。 6月17日のことである。  

新聞記事が出た後で、このような事件を二度と起きないようにするにはどうしたらよいか考えてみた。 事件の背景には私を含め、一般市民の野外彫刻に対する無関心があると思う。

とりあえず自分にできることをしようと言うことで、FMラジオカロス・サッポロに「野外彫刻を大切にしよう。中島公園を綺麗にしよう」という趣旨の意見広告を流すことにした。 

毎週木曜、夜8時からの中島公園を含む地元の番組「山鼻、あしたもいい天気!」の中で流すように手配し、7月5日より放送されることになった。

この意見広告は反響を呼んだ。 先ず、各番組のパーソナリティが、意見広告の後で、事件に関する感想・意見などを話してくれた。 

7月12日の「アートなラジオ」では、この問題を取り上げた特別番組を組んでくれた。 その中で、札幌彫刻美術館友の会会長からもご意見を頂いた。

新聞等マスコミの記事は一回限りで終わることが多いが、それで問題が解決するわけではない。 しかし、きっかけとしての意味はもつ。 

これを機会に、「野外彫刻を大切にしよう。中島公園を綺麗にしよう」というPRを息のながい活動として続けて行きたいと思う。

2月3日 中島公園の為にになる寄付活動

「こうすれば、もっと良くなる中島公園」このテーマをいつも考えている。中島公園のPRを一つの事業と考えれば寄付も、その一つである。

2005年は「すすきの氷の祭典」の氷像スポンサーとして中氷像を1基寄付した。 制作;札幌パークホテル、協賛;中島パフェによる「白いターゲット」。

2006年には中島公園のために役に立つ地域のラジオ番組に、局に支払う放送料金の一部を寄付した。

2007年は「中島公園の野外彫刻を大切に、中島公園を奇麗にしよう」と言う呼びかけをCMにしてラジオで流した。1週間1回30秒。

今年のの寄付先を検討している。公募はしない。自分で調べて目的達成のために、一番役に立ちそうなところに寄付したいのだ。 レジャーでお金を使うように楽しみながら、小遣い程度を寄付するのである。

寄付の見返りに「中島パフェ」というサイト名を出させてもらっている。 中島公園のためのPRサイト「中島パフェ」のアクセスが増えれば、中島公園に関する理解も広がると期待しているからである。喜捨とは違う。中島公園の為になる寄付をする。

真面目に生きると同時に、半分は楽しいことを考えながら暮らしている。 「中島パフェ」というホンマモノのパフェを中島公園周辺のホテル・喫茶で開発して欲しいと願うのも、本気半分、冗談半分だ。実現したらトップページに写真を載せるつもりだ。

本物のパフェと「中島パフェ」がドッキングするのだから、PRになると思う。「中島パフェ」のアクセスが増えれば、当サイトの意見も世間一般に広がるものと期待している。

繰り返しになるが、「中島パフェ」開設の目的は「中島公園を良好な状態に維持して次世代に引き継ぐ」ことである。その為の役に立ちたいと願っている。


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2009年2月15日更新

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